本サイトで提唱するテクニカルライティングは、文書作成の見直し方にとどまらず「考えを文にまとめられない」状況の打開につながると言えます。「まとめられない。でも、仕事だから書かなければならない」の結果、無理が生じ「伝わりづらい文書」に陥る場合があります。しかし、それ以前に「まとめられない」で手が止まってしまい、時間を浪費していてはさらに深刻です。テクニカルライティングにより「文書目的に応じた段落構成」を知り、さらに企業全体で文書品質の向上を推進すれば、個人の論述力の向上にもつながります。 |
「考えが文にまとまらない」に続けて「技術者はもともと国語が苦手だ」とおっしゃる方に出会うことがしばしばありましたが、いつごろからか「言語力が不足している」とおっしゃる方が多くなりました。ただ、これらには同意できる部分と同意しかねる部分があります。
「言語力」とは、「語で発言(もしくは文)を構築する基礎力」であり、成熟して「テーマを定め、意向・見解を言語(語および言語構造)で他者に伝える表現力」に至ると言えます。幼児期に語とその使い方を知り始めることから形成され始め、日常と教育によって発達する能力です。
年少者が「言葉(あるいは簡略な文)で意向・見解を伝える力が未熟」なのは、まさしく言語力の形成・成熟過程にあるためです。対して、社会人の「考えが文にまとまらない」の場合は、「まとめようとしている事項が複雑あるいは多すぎ、かつ“うまく”まとめようと配慮するあまり(すなわち、あれこれ考えすぎ)、一種の“思考の飽和状態”に陥っている」と言えます。
一部に「言語力の低下」を憂う事態は確かにあると思います。小・中学校から高校の時期は、言語力の成熟とともに論述力(論理および論理に基づく思考の記述力)の獲得が始まる時期と言えます。誤解を恐れずに私見を述べれば、もともと論述に関する教育環境が乏しいことに加え、青少年が論述の基礎となる言語力(とりわけ語彙)を獲得する教育機会が縮小傾向にあった(さらに社会環境においてもその歯止めが十分でなかった)ことが、「言語力の不足あるいは低下」として顕在化してきていると考えます。
加えて、携帯メールに代表される「論述をさほど要しない“共有の論理にある仲間うち”のコミュニケーション」が社会生活における「書く・読む」の主体になりつつあることが、「第三者への論述(例:取引先あるいは上司への報告)を 的確にまとめられない」に拍車をかけていると推察します。
注:「言語力」を広くとらえ「論述力」さらには「修辞力」などを含めて「(総合的な)言語力」とする見方もありえますが、問題を明確化するため上記のようにここでは「言語力」を論述の基礎力と位置付けます。
技術系の企業から「技術に関しては優秀なのだが、いざ“文書にまとめる”となると的確に進められない人材が多い」とお聞きすることがあります。常々、私にはこれが矛盾とも受け取れ、かつここから問題の本質が見えてくるように思います。本来は、「技術に関して優秀な(すなわち論理を把握でき、解を導ける)人こそ“技術文書”の作成が得意」なのです。
技術系企業で作成するのは「技術文書」であり「実務文書」です。これらの文書を作成する際のポイントは、「文書目的に応じた主題を設定するとともに、論理を整理し、論理の帰結を要点として読者が知りうる表現で示す」ことにあります。この中核となる「論理を構造化して帰結(解)を導く」のは、技術者の方々が得意とするところです。 「技術文書を作成する」と「技術上の問題を解決する」は根底にある原理で共通していると言えます。
問題は、技術系企業での文書作成を「あたかも学校教育での国語(作文あるいは文学の読解)ととらえがち」な点にあると考えます。そこから、「では、大学を含め学校教育で実務文書の作成手法を体系的に学ぶ機会はあったのか」という疑問が生じます。この疑問には、否と答えるしかありません。
改善の動きがあると期待しますので学校教育への批判は避けたいと思います。しかし、先の「技術に関しては優秀だが、いざ“文書にまとめる”となると的確に進められない人材が多い」の声は 増加傾向にあると実感します。企業という「現場」が期待する文書作成に学校教育が応じられるまで待ってはいられません。企業の中で問題を解決するしかありません。
問題の本質は、技術文書あるいは実務文書を作成する手法を体系的(文書目的、規模など)に習得しないまま文書作成の業務に直面し、しかたなしに「技術文書⇒文書⇒国語⇒苦手」と思い込まざるをえない状況にあると言えます。苦手と位置付けるから避けてしまいがち(言語力を活用せず)になり、その結果さらに苦手になる負の連鎖に陥りやすくなります。
負の連鎖を断ち切るには、一概に「言語力の不足」さらには「国語が苦手」と決めつけず、「技術の論理からわかりやすい技術文書を作成する構図」を理解する必要があります。情報を整理し「論理」を見い出し「伝わる論述(あるいは弁論)」につなげる手法を知り、これを能力として養い企業力に結びつけることです。
情報を整理し、そこから「論理」を見い出し「伝わる論述(あるいは弁論)」につなげる手法こそ、本サイトで提唱する 「テクニカルライティング」です。
テクニカルライティングは「主題−要点(主題の答え=論理の帰結)−補足(帰結の裏付け=論理の構造化)」の段落構成を基本としています。
技術者の方々は技術課題を解決する際にロジカルシンキング(課題を構成する要素の関係を明らかにし、その帰結を解決策と位置付ける思考)を基盤にしたさまざまな問題解決手法を取り入れられていると思います。言わば、テクニカルライティングは、ロジカルシンキングの最小原理を包含した文書作成手法と言えます。
たとえば、箇条書きは並列あるいは順序の関係にある論理の構造です。ただし、箇条書きだけを示されても構造が示す意味を読者は読み取れません。したがって、箇条書きから帰結される要点を主題の直後で明確に述べる必要があります。
論理の構造が単なる並列あるいは順序でなければ、階層構造を組み合わせた図解になります。ただし、いかなる図解であっても、その論理の帰結を大局的に表す要点が必要です。
本サイトで提唱するテクニカルライティングでは、「帰結=要点を主題(見出し)の直後(段落の最初)に置く」をポイントにしています。読者は、なによりも主題に対する答えを求めています。執筆者が書き進める際は「主題−論理の構造化−帰結(要点)」であっても、最後に「主題−要点−補足(構造化された論理)」の構成に調整する必要があります。
文書はもとより、プレゼンテーションや口頭による解説では聴き手から「結論を先に」と求められます。その点で、テクニカルライティングによって論理による裏付けがある結論を表現する手法と習慣を体得するのは重要と言えます。しばしば「事実⇒結果」の構成が主体になり、「主張(メッセージ)」が伝わりづらいプレゼンテーションに遭遇します。結論に至るロジカルシンキングの局面では「事実⇒結果」であっても、聴衆に訴求する際は「主張+裏付け」の構成を主とするのが適当です。
論理を分析し得られた要点を段落の“最初に置く”のがテクニカルライティングの基本です。「主題−要点−補足(構造化された論理)」を最終形としつつ、まずは論理構造を“書くこと”によって視覚化し、その「大局」を要点として導く過程を踏むのがポイントです。 「まとめられない」状況は、執筆者が「主題−要点−補足(構造化された論理)」の各要素を曖昧にとらえている場合に陥りやすくなります。
おおざっぱなたとえですが、ワープロの前で“もやもや”とした時間を過ごしていても一気に考えがまとまる可能性は低いと思います。10分たっても何もまとまらず疲れて放棄してしまう(あるいは他の要件が入ってしまう)可能性があります。むしろ、5分間で主題を確認するとともに論理構造を箇条書きあるいは図・表で表し、そこからキーワードを発想して3分で要点を導き、2分で「主題−要点−補足(構造化された論理)」の構成に調整したほうが効率的と言えます。
付け加えると、要点は“最初に置けばよい”のです。無理して“最初に書こう”として手が止まってしまうより、論理の構造を視覚化・言語化してから要点を見出しの後に挿入し全体を調整するのが適当です。
しばしば、「書きながら考える」として論理の構造を把握しないまま書き始め、「文が浮かばず行き詰まってしまう」となげく方がいます。この原因は、「書くことによって論理を構造化し、そこから結論を導く」過程を簡略化しすぎ、「論理を構造化しないまま、要点をまとめようとする(論理構造を考えると要点を導くの同時進行)」からと言えます。むしろ、「論理構造を表す」と「要点を導く」を同時進行とせず、分割するのが得策です。
脳科学に言及するまでもなく、個人差はあれ「人が一時に使える思考のリソース(処理能力)」には限りがあります。“もやもや”とした思考から一気に要点を導くのは負担(いわば、論理の連立方程式を頭の中で構築し、頭の中で解くような状況)であり、いわゆる「なにも浮かばない」、「思考が止まる」といった状態になってもおかしくはありません。
また、あるキーワードに固執していると、他の語はなかなか浮かんできません。まずは、箇条書きの1項目として表し、並列な語があるのか、あるいは上位・下位の語があるのか、その語に対する目的語・述語に相当する語な何かを自身から導く必要があります。
「書き始めると、配慮しなければならない事項や相反する事項があれこれ思い浮かび、行き詰まってしまう」という方にも出会います。「自分の考えはこれだ」と思って書き始めたが、「読者が疑問をもつかもしれない」、「反論されるかもしれない」と必要以上に自問し葛藤した結果、まとめきれずに書く手が止まる状況と言えます。この原因は「まとめる」を必要以上に「“一つ”にまとめる」としてとらえすぎと言えます。“無理がある一つにまとめる”ではなく、要点(主)と条件(従)の関係で構成する発想も必要です。
私たちは「まとめる」という行為を「八方美人的に一つにまとめる」ととらえてしまいがちです。しかし、八方美人的なまとめ方はしばしば無理・矛盾を伴います。むしろ、「一方」が主(要点)であり 、主と他の「七法」との関係を補足したほうが、“本来のあるべき解の形にまとめた”と言えるのではないでしょうか。
新入社員の方が「議事録の作成を任され会議中に克明なメモをとったが、いざメモをもとに議事録にしようとするとさまざまな発言に配慮しすぎてまとめられない」などが相当します。だからといって、発言を時系列に記録した「発言録」形式では、何が決まったのかを示す議事録にはなりません。また、「・・・・について・・・の計画が示されたが、・・・への・・・が指摘され、・・・・・・を検討したが、・・・・の・・・に当たっては・・・・・の必要があるという意見もあった」などと無理な1文に要約しては、かえってわかりづらくなります。
ここでの「視点」とは、「文書における主体」を指します。たとえば、報告書ならば「私は・・・」、「私の・・・」、「私にとって・・・」など執筆者自身が主体です。仕様書・契約書ならば「私たちは・・・」、「私たちの・・・」、「私たちにとって・・・」など執筆者と読者の一対が主体です。さらにマニュアルならば「あなたは・・・」、「あなたの・・・」、「あなたにとって・・・」など読者(ユーザ)が主体です。ところが日本語では、文書目的そのものに主体が含まれる(“私の”報告書)として特に強調する以外は主体を省略して文を表します。ところが文では省略しても、頭の中では明確に位置付けておかないと発想の方向性が曖昧になり、文がまとまりづらくなります。
技術文書(とりわけ報告書)はよく「客観的に書くべき」とされます。しかし、技術文書での客観的とは「客観的な検証を裏付けとして論を述べる」あるいは「読者が疑問をもつ(もしくは容認しがたい)ほど偏った論法を避ける」ことであり、「主体を必要以上に曖昧にした第三者的(傍観的)な視点で書く」とは異なります。論述する際に、「客観的であること」の真意を誤解して「主体」を失っては、執筆者から文は生まれてきません。
「執筆者自身が書くべき対象(技術あるいは製品)を理解しているならば、どのような順序(もしくは視点)で論述すべきかがテクニカルライティングの一部に位置付けられている」ことをお伝えするのが本セクションの主旨です。
上述のように「わかっているつもりだが、考えが文にまとまらない」は、「要点を掌握し言語化する過程を執筆者自身が阻害している」のが主たる原因と言えます。阻害の原因となる語を紙上に表して頭から取り除けば、その奥にある「“執筆者が既にたどり着いている”要点」が文として出てきやすくなります。さらには、先のセクションで述べた文書作成のチェックポイントに沿って見直せば「読者に伝わる言葉」になります。このプロセスを習慣にして体得すれば、要点にたどりつく時間が速くなり論述力の向上につながります。
「ワープロに向かっていると書けないが、席を外してほかの作業をしていると急に要点となるべき文が浮かんでくる」という経験はないでしょうか。皮肉なことに、書く作業をしていると文が浮かばす、書く作業から解放されると意識下にあるキーワードが論理的に構築され単純かつ重要な文がはっきりと“浮かんでくる”場合があります。技術的な問題を解決する際にも同様な経験がおありではないでしょうか。
あるいは、「ワープロに向かっていると文が浮かんでこないが、誰かと話している(あるいは独り言をしている)とまとまってくる」場合があります。先の作業中の例と同じく課題を理解しこれを解決する力がある人ならば、頭の中でも文を作れまた話すこともできるはずです。
ワープロで1語(あるい数語)を入力したばかりに、入力した語にとらわれすぎて思考が止まりがちならば、まず頭の中だけで構築できる単純な文を思い浮かべてみるとよいでしょう。先に述べたように人が一時に使える思考のリソースには限りがあるため長文を思い浮かべることはできませんが、課題を理解しているならば頭の中では長文を思い浮かられないがゆえに逆に要約された文(すなわち要点)が浮かんでくるはずです。
「考えが文にまとまらない」という課題をかかえておられる方から「文献を多く読めばよいのか」、「脳トレのような言語力強化のトレーニングをするとよいのか」、さらには「パターンに語を当てはめてゆくと要約された文ができる理論なり方法があるのでは」と問われることがあります。「YesかNoで答えよ」とされるならば、私の答えは「問題の本質(文まとまらない)とのずれがあり、技術文書の作成においてはNo」です。
「読む」は「書く」の基礎になりますから、さまざまな文献を読むのは適切と言えます。ただし、文献の内容とは別に文書としての品質を査定できるなんらかの知識がなければ執筆者の能力にはつながりません。
先に述べたように、言語力とは幼少期に形成される基礎力です。技術文書あるいは英文を読めるほどの人にとっての「言語力トレーニング」とは何でしょうか。語彙を広げ「受け答え」を活発にするには有効かと思いますが、技術文書を論理的に構成する力に至るとは思えません。
「パターンに語を当てはめてゆくと要約された文ができる」と考えてしまうのは、「技術文書⇒文書⇒国語⇒苦手」の逆で「技術文書⇒技術⇒数式・論理式⇒得意」の発想と言えます。しかし、技術上の問題を解決する際のさまざまな手法も「技術の論理の構造化をもとに“解決の発想を促す”手法」であって、あたかも「1変数の二次方程式を解く公式」のように一意の答えがでるわけではないはずです。文書においても同様で、論理構造を“書くこと”によって視覚化し、そこから「大局」を言語として執筆者が自身から引き出していると言えます。
繰り返しになりますが、「技術文書を作成しようとしているが、考えが文にまとまらない」を「考えが文にまとまらないのは、言語力がないのが原因」に結び付けるのは短絡的で危険です。「順を踏んで考えを言語化し、要点の発想と言語化につなげる」を手法 、すなわちテクニカルライティングの手法を体得していただくことこそ企業の論述力、ひいては企業力につながると言えます。
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